では2つ目の話題ということで。あの〜、佐藤選手と言えば、ホント知る人ぞ知る携帯マニア(笑)。
佐藤光留:いやぁ〜、これがね〜、大変なんですよ、最近。僕、携帯を最近D社からJ社に換えたんですよ。J社の、画像が一番綺麗なヤツにしたんですよ。メインディスプレイが26万色で、外側に付いてる小さいサブディスプレイが6万何千色なんですけど。でもまぁ、若干音は劣るんですけどね。D社の携帯はD251っていうのを使ってて、写真とかも撮れたんですけど、やっぱり画像とかってJ社の方がすごい良いんですよ。でも、操作性とか、その〜、仕組みですよね。やっぱり高かろう、美味かろうなんですよ。それでJ社にね、今すごい戸惑ってるんですよね。で、慣れてしまえばいいんだと思いますけど、携帯って慣れるまでお金かかるじゃないですか? いくらJ社のメールが読むのはタダだって言ったって、こっちが送ったらお金がかかりますからね。それで今、J社の人に話したら、「何で使えないのお前? もしかしたら携帯マニアじゃなくて、Dマニアじゃねぇ?」って言われて(笑)。結構今、D社マニアっていう感じで揺らいでるんですけど(笑)。まぁ、でも慣れれば何てことはないですよ。

あの〜、佐藤選手は、おそらくパンクラスの選手の中では初のことだと思いますが、個人の携帯サイトを持ってたんですよね?
佐藤光留:あの〜、合宿中に“つくろうかな”って思って。

合宿中?
佐藤光留:鈴木さんと渡辺さんと僕と廣戸さんで合宿に行ったんですよ。2000年の8月に。そこで“つくろうかな”って思って。合宿を終えて、帰りの車の中で考えてて、そこから、家に帰るまでの間につくりましたね。5分でできましたよ、D社だったから(笑)。

どれくらいの方が見に来てたんですか?
佐藤光留:一日に多い時は2000ヒットぐらいありました。一回、広末涼子さんとのことを日記に書いたんですよ。1ヶ月に渡る長編になったんですけど。それは、1つの文章に200文字ぐらいしか入らなかったから、1日1日でちょっとずつちょっとずつ話が進んでいくんですよ。それがすごいうけて、そこで一気に。ちょうど船木さんの引退興行(2000年12月)の時のパンフレットにも載ったりして、それで一気に(ヒット数が)増えて。その時が絶頂期でしたね。パンフレットに載ってるんですよ、アドレスが。

ちょっと待って下さい。このインタビューをご覧になってる皆さんにここはご説明しておかないといけないんですけど、広末涼子さんとのことっていうのは・・・。
佐藤光留:それはホームページが復活したらちゃんと書きますんで(笑)。え〜、中学生の時に、自転車で会いに行ったんですよ。それ以上は聞かないで(笑)。話すとそれだけでもう1ヶ月分になるから(笑)。

今はもう、閉じちゃったんですよね。
佐藤光留:そうですね。あの〜、でもメールBOXがまだ付いたままなんで、この間海外からメールが届いたんです。日本語で。海外に行った人がインターネットでアクセスしてきたんですけど。で、「パンクラス、ずっと見てるよ。金髪はやめなさい」って(笑)。それで髪の色を(黒に)戻しました。

復活はいつぐらいを考えてます?
佐藤光留:って言うかね、あの〜個人サイトはしんどいですよ(笑)。携帯一個でつくれるからすごい便利で楽しいんですけど、やっぱ見合った内容を見せれないのと、あとは・・・曲がりなりにもパンクラスの選手じゃないですか。やっぱ勝手にホームページはつくれないですからね。だからそのうち、J社の公式サイトで月500円ぐらいとって復活しようかなって(笑)。『格闘魂』で「チャンコ番長日記」がはじまるはずだったのに、一本勝ちを逃しちゃったんで(笑)。