パンクラスが旗揚げして10年で、これはその前の段階ですから、私がまだ20代の頃です。その頃私は格闘技というようなものを生業として生活をしている時期がありました。その時に、色々な格闘技の選手やプロレスラーという人達と縁があり、一緒に練習する機会があったのですが、その頃私が教育係という形で指導していた選手の中に、船木選手やこの間鈴木選手と闘ったライガー選手がいたわけです。その頃からの付き合いの中で、紆余曲折あって、一旦は私は格闘技の事が面倒くさくなり、格闘技とか、人をどうやって倒そうとか、やっつけようということから興味がなくなりました。そんな時、以前に学校も出てましたから、じゃあ人の体を治す事を一生懸命やってみようという事で、格闘技とはまるっきり縁を切って、仮装と言うか、全く空白の時間がありましたけど、その時から数年して私の治す仕事をきっかけに、これがまた人の縁とは不思議なもので、もう一回船木君と再会をする事になります。その時は懐かしいという事と、船木選手が当時海外に遠征をしている間に、私が格闘技をやめてしまったので、そういう意味では教育を半ばに生徒をほったらかにしてしまったという気持ちもあったので、まあ、そういうのも申し訳ないなというのもあって、再会した時点で色々な話をしました。

その当時、船木選手もプロレスラーとして日々仕事をしながら、肉体的な事の悩みやケガ等の事も踏まえて色々なものがあったので、じゃあ一つまた仲良くやりましょうかという事で彼との縁が復縁されていきました。今にすると、それが15年程前になると思います。それから何年かしたら自分達のスタイルの、今でいうパンクラスのリングを作っていきたいという相談を受けました。で、まあ、私としては格闘技にまるっきり興味がないので、“ふ〜ん”みたいな、他人事みたいな感じでいましたし、断りました(笑)。「他に誰かいるかな〜」なんて言って(笑)。そして、そういうレフリーをやってくれる人がいたら紹介してあげるよ、なんて言ってましたが、そんな人いるわけないじゃないですか(笑)。だから、ま〜どっかにいるんだろうなと。他団体のレフリーの方とかいろんな人がいらっしゃいますから、だからそういう人がやれば良いんじゃないのかなぐらいに思ってました。まさかそれが自分に飛び火して、火中にゆっくりつかってしまうとは思ってませんでしたけど。最初は細かい相談を受けたりしていましたが、色々な話をするうちに、どんどん包囲網が狭まってきているのに気付いてきたわけです(笑)。それで、はたと気付いた時には、打つ手もなく船木選手の毒牙にかかっていたわけです(笑)。

ただ、一番話をしていて危惧したのは、月に1回ないし2ヶ月に3回位のペースで試合をしなければいけない。そういった中で試合と練習のケガというのは並大抵のものではないだろうなと思いました。そのダメージをどうするのだろうという心配と、それからそういうアスリートとして自分を変えていくのであれば、プロレスラー然とした身体、プロレスラーの日常生活、時間の過ごし方、それを改善する必要があるだろうと考えていましたから、そういう意味のお手伝いは出来るのかなと考えていました。それぐらいの考えしかなかったです。よもや私が旗揚げ戦でレフリーとしてリングに上がっている事なんてまるっきり考えてませんでした。それがパンクラスの骨組みを作っていくプロセスと、私と船木君の男同士の関係と言うか、そういうものの中で上手くリンクしてしまったので、パンクラスの旗揚げの頃から一緒にやる形になっちゃったというのが、簡単にいうストーリーです。

アスリートとしてやっていくわけですから、基本的なコンセプトは色々と言わせてもらいました。何故必要かという事を、難しく細かく言ってしまうと、本当に細々としたものになってしまうので、少なくともこれとこれは守ってやらないといけませんよというような指示を出しました。基本的に船木君もそういう意味では勉強を良くしていたから、1回、船木君に指示を出せば大体の事は他のメンバーに伝わるというのもありました。あとはやはり國奥選手なんかは、その当時本当にくちばしが青いという感じの、本当にひよっこみたいな状態で練習生としていましたから、そういう彼等が変に擦れなければ良いなという、変に小さくまとまらないように色々な事を言わなければならないという事もありました。そういう事は心がけていました。

後はやはりルールです。実際にやってみたら、色々なルールの落とし穴みたいなものがあります。そういうものをいかに改善していくかという事と、その当時もう一つ注目だったのは「秒殺」という言葉が出たことでした。それが強い奴と弱い奴がやると秒殺になるんだぐらいの認識しか持っていない、いわゆる賢者、関係者の中にも、そんな程度の認識しか持っていない人が多くいました。だけど秒殺の定理というのはそんな事ではありません。どちらも一太刀持ってないと秒殺というのは出来ません。ワンパンチ、ワンキック、一つのパターンに入った時の関節技、瞬間に決まる関節技の定理というのは、それだけの破壊力を持っているかどうかというクオリティーの高さを示すもので、強いもの同士が闘ったとしても、先にファーストカード、チャンスカードを思いっきりキッチリとっちゃった奴は秒殺として成り立つわけです。そういう意味の代償として、やはりケガなりダメージというのは大きく出ますから、そういうところのケア、そういうもののイメージというのも凄く旗揚げ当時について回ったと思います。当時の試合時間は30分1本勝負だったような気がします。今は懐かしくなったロープエスケープ、ダウンポイント、そういう意味では今と比べると試合時間は長かったです。確か稲垣選手とヴァーノン・タイガー・ホワイト選手は、神戸で30分フルタイムで闘ったのをレフリングした憶えがありますが、今で言えば途中でストップがかかります。あの当時はかけちゃいけない事になっていたから(笑)、ブレークの定義もすごく大変で、試合が流れている以上、どこから試合が展開するかわからない、勝機がころがりこんでくるかわからないということで、試合が拮抗してしまってもブレークで立たせるのは、いかがなものかという、そもそもの果たし合いみたいな部分、果たし合いという部分が強かったから、ブレークもなかなかかからないし、試合展開も凄く遅くなったりした部分というのもありました。だから、めちゃくちゃ短いか、めちゃくちゃ長いかみたいな試合も私は多く記憶しています。ですから10年間の中でやはりファンの方はあまり変ってないような気持ちの方もいらっしゃると思いますが、創っている私達からすると相当変ってきたと思います。