転機になったコロシアム。

近藤:僕、花粉症なんですよ。でももしかして「ほこりアレルギー」かと思って。ウチ、きたなくって(笑い)。掃除しないから。
●あ、あるんですよね。ハウスダストって、アレルギーの元。
近藤:要するにきたなすぎて許容量超えちゃうんですよ(笑い)。でも花粉って、ヤですよね。スギの精子じゃないですか(笑い)。

●あんなにぶちまけて(笑い)。…えっと、今日はこの一年のお話を。この2000年っていうのは、近藤選手のキャリアの中でも重要な年になったと思うんです。特にパンクラスの外で試合をする機会が多かったわけですが、自分にとっていちばん重要なポイントになってるのは、どの試合だと思いますか。
近藤:やっぱりコロシアムですね。サウロ・ヒベイロ戦。

●それを選ぶ理由というのは?
近藤:自分なんかが目指しているのは、最強の称号だとかそういうことよりも、自分の闘い方、スタイルの完成なんですよね。肉体的にもそうだし、精神的にも、技術的にも。その中でヒベイロ戦っていうのは、精神的にそれをひとつ掴んだなっていうのがあったんです。22秒っていう短い時間でしたけど、トランス状態っていうか、リングに上がる前から緊張してるようで、いつもとちょっと違うような。ホントに心から力がわきあがってくるように高揚してるし、だけどどっか穏やかで、闘うにはすごくいい精神状態だったと思うんですね。

●ああいう大きい舞台で大一番でっていうのは関係なかったですか。
近藤:それはやっぱり影響あったと思いますね。東京ドームで、メインが船木さんとヒクソンで、僕の中でもやっぱ一番のビッグイベントっていう意識があったんで。相手がヒベイロだったとかより、あの日の東京ドームってやっぱ一種異様な違った空気がありましたから。

●その後の全然条件が違う試合にも、つながってきてるんですか。
近藤:そういう手ごたえはありますね。試合やるっていうのが、この上ない喜びなんだなっていうのはあります。試合の内容も少しずつ。判定も少ないと思うんですよ。勝負しに行くっていうのはすごい度胸がいるんですけど、それまでは精神的に弱かったんで、逃げるっていうか、よく言えば守りに入るっていうか、行くに行けない自分が、すごいはがゆかったんです。それがあの試合あたりを境に、臆することがなくなってきたなっていうのがありますね。

●この試合で近藤選手は勝ったけど、船木さんは結果、引退を迎えてしまった。直接対決ではないけど、パンクラスの世代交代は、あの大会でなされたんじゃないかなと思うんです。いま自分自身、パンクラスのエースという感覚はありますか。
近藤:うーん、そういう感覚はなかったですね。船木さんが引退してから、自分にそういう期待がかかってるっていうのが、自分自身感じてるようで感じてないっていうか。そんな自信もないし、たまたま世間の目がそういうふうになってるというくらいにしか感じてなかったですね。

●「なかった」って過去形ですが?
近藤:12月、負けたじゃないですか(ティト・オーティズ戦)。あのときホントに「みんなの期待がかかってたんだな」っていうのを身にしみて感じましたね。申し訳ないこと、無責任なことをしたなっていうのがあったんで。好む好まざるに関係なしに、みんなが「エースだ」って、そういうふうに見てくれてる人がいるってことは、そういう期待を背負ってやるもんなんだなって。自分が「俺がエースだ」とか「俺はエースじゃない」とか関係なしに。

●ああ、それは自分じゃなくて周りが決めることだって。
近藤:それもそうだし、そうやって見てくれる人がいるってことは、それなりの意識をもってやるべきなんだなって。

●船木さんは、そのプレッシャーで苦しんだみたいですね。「負けられない」のがつらいって。
近藤:そうですか。でも僕は「いつでも負けてやろう」と思ってますけどね(笑い)。次の試合(本日のブライアン・ガサウェイ戦)なんか、僕、結構危ないと思うんですよね。ただ、いつでも負けてやるとは思ってますけど、ただでは負けないっていう自信はありますよ。

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