2002.6.09:DEEP2001 DEEP JAPAN ミドル級1DAYトーナメント


2002.8.25:梅田 vs星野戦


2002.9.29:横浜 vs三崎戦

2003年年頭ということで今年のお話をする前に、まずは窪田選手ご自身に、昨年、2002年を振り返っていただきたいと思います。昨年は6月にDEEP2001大会のミドル級1DAYトーナメントに出場してますので、試合数で言えば一年間で7試合を行っています。7試合という数字に関してはいかがですか?
窪田幸生:少ないですね。僕からしてみたら。

もっと出場したかった?
窪田幸生:もっと試合をしたかったですね。パンクラスの選手が今ほど多くなかった時はいつものように出場してたので、それがホント当たり前のような感じだったんですけど。以前は試合が終わったらすぐに次の試合のことを考えてたんですけど、最近はそれもなくなりましたね。結局僕の仕事は試合をしてそれをお客さんに観てもらうことなんで、試合をしないと何の意味もないと思うんですよね。試合がない間に練習がいっぱいできるから、そのぶん次の試合で変わった僕を観てもらうというのもあるんですけど、やっぱり試合をしないと自分も出せないし。それが一番ですね。年間7試合というのは多いとは思わないですね、僕は。

試合が増えるとコンディション調整が大変ではないですか?
窪田幸生:んー、コンディションに関してはそういう面もありますけど、僕の取り柄は頑丈なところなんで(笑)。頑丈っていうか、まぁケガもしますけど、そんな大きなケガもこれまでないし、欠場したこともないし。だから確かにコンディションの調整は大変ですけど、それも仕事のうちなんで辛いとは思わないですね。逆に試合がない方が辛いですね。辛いというか、なんか楽しくないですよね。目標がないですねよ、結局。

昨年の年頭に「2002年はこうしたい」っていうようなことを何か考えました?
窪田幸生:とにかく『勝ちたい』っていうのが自分の中にあって。それですかね。『勝ち』にこだわってましたね。

去年は勝ちにこだわるということを考えてた?
窪田幸生:そうですね。

では、そういうお気持ちでスタートした2002年でしたけど、今振り返ってみて昨年一番印象に残っている試合は何ですか?
窪田幸生:んー、去年はやっぱりDEEP2001でのトーナメント(6月・DEEP2001)ですかね。

どういう意味で印象に残ってますか?
窪田幸生:僕はパンクラスでもトーナメント、ネオブラッド・トーナメント(1997ー1999年)を3回やってるんですけど、これまでで一番辛いトーナメントでしたね。

それはやはり試合中に何度かあったローブローということでですか?
窪田幸生:んー、一番の理由はそれかもしれないですけど・・・。とにかく辛かったですね、何か。それと決勝にいかないといけないという・・・。

プレッシャー?
窪田幸生:そうですね・・・。パンクラスのファンの人たちからしてみればDEEPで優勝して欲しいというのがあったと思いますから。このトーナメントの決勝で僕と上山選手が試合をして、ここで勝敗をはっきりさせる(過去、2001年1月と2001年8月にDEEP2001大会のリングで2度対戦。2試合ともドロー)のが、DEEP的にも、ファンの人たちからしてみても一番面白かったんじゃないかと思いますし。僕が上山選手に勝つにしろ負けるにしろ。だからファンの人たちにとっても、このトーナメントはスッキリしなかったんじゃないですかね。僕も決勝までいきましたけど、ああいう勝ち方(対戦相手が出したローブローにより、相手選手が減点を受けた上での判定勝ち)で決勝に上がってきてるわけなんで・・・。悔しいのもあったし、何か悲しいのもあったし。すごい複雑な気持ちでしたね、このトーナメントは。全然嬉しくなかったですけど、とにかく勝って上にあがれて良かったというのもあったし、こんな勝ち方じゃ悔しいというのもあったし。その後の試合のことも考えなければいけなかったし。何か複雑な思いがいろいろ混ざってましたね。

では、DEEP2001大会の話題は後ほどまたいろいろとお話していただくとして、次の質問なんですが、去年、ご自分の試合の中で一番良かった、満足できた試合というのはどの試合ですか?
窪田幸生:ないですね。

1試合も?
窪田幸生:ないですね。

では逆にダメだった試合、思い通りにいかなかった試合はありますか?
窪田幸生:んー、8月の大阪(梅田ステラホール)でパンクラスのミドル級で初めて試合をして(VS星野勇二戦)、それは『ダメだっ!』って言うんじゃなくて、『こんなんじゃダメだな』っていうのと『これからミドル級でやっていくんだ』っていう感じだったんですけど、その次の文体(9月・横浜文化体育館)で三崎選手と試合をしましたよね。この試合はちょっと自分にとって悔しかったですよね。『もっとオレが出せる』って思いましたね、この試合は。三崎選手はネオブラッド・トーナメント(2001年7月)での優勝とか、冨宅さんに秒殺勝ち(2001年10月)したりとか、その後もいろいろ勝ってきてるんですけど、試合前にそういう試合とか映像を見て、自分の中で勝手に三崎選手のイメージをつくってしまったんですよね。なかなか言葉にするのは難しいんですけど、自分の中で三崎選手のイメージができてしまって、そういう状態で試合をしてみたら『あれ?』って思ったんですよ。で、結局その試合で自分が出せなくて。試合が終わった後、自分というものを出せなかったことが悔しいというか・・・。試合に負けたことももちろん悔しかったんですけど、そっちの方がもっと大きくて。だから試合後に三崎選手に「もう一回やろう」って言ったんですけど、それは僕というのが全然出せてなかったから「もう一回やろう」って言ったんです。まぁ、勝敗に関しては三崎選手が強かったから勝ったわけで、でも言い訳じゃなくて「まだ出せる、こんなんじゃない」ってホントに思いましたね。

窪田選手ご自身が考える窪田選手らしさって何でしょうか?
窪田幸生:んー、僕のですか・・・? 楽しくやってなかったんじゃないですか? 僕が楽しくやってたらお客さんも楽しく観れるんじゃないですかね? あのー、何か勝ちにこだわろうとか、そういうのが自分の中にあったんじゃないですかね? 重荷みたいに。勝ってないし。

年頭に考えてたことは「勝ちにこだわる」っていうことでしたよね?
窪田幸生:そうですけど、それが逆に良くなかったかもしれないですね。

そういうふうに思い始めたのはいつぐらいからですか?
窪田幸生:DEEPのトーナメント(6月)までは勝ちにこだわってましたね。やっぱり勝たないと決勝までいけないし。その後、8月に星野選手と試合をした時に、そのへんからおかしくなってきたんじゃないですかね。『違うなー』みたいな感じで。

『勝ち』にこだわりたい気持ちと、一方で『違うなー』というような気持ちが星野選手との試合の最中にも心の中で葛藤してました?
窪田幸生:ん・・・、もうゴッチャゴチャですね。

では、迷いながら闘ってたという感じですか?
窪田幸生:迷いがあったから良い試合ができなかったかもしれないですね、今思うと。

6月のDEEPでミドル級トーナメントに出場されて、その後、パンクラスでも8月の大阪大会からミドル級で試合をするようになりましたが、階級をそれまでのライトヘビー級からミドル級に落としたのは、どういう心境の変化からだったんですか?
窪田幸生:そうですね・・・、ライトヘビーかミドルかって考えた時に、(パンクラスのリングでは)ライトヘビーの方にパンクラスの選手がいっぱいいるじゃないですか。選手も多いし、面白い試合もたくさんあるんですけど、逆にミドルの方はライトヘビーに比べるとそんなにパンクラスの選手も多くないし、ちょうどDEEPのトーナメントで体重も落ちてたところだったので。これまでライトヘビー級の選手としか闘ったことがなかったし、『ミドル級だとオレはどこまでいけるんだろう?』っていうのもありましたね。あと、僕がミドル級にいくことによってミドルを盛り上げようかなみたいな。そんな感じですかね。ライトヘビー級だけじゃないよ、ミドル級も面白いよみたいな。そういうのもあっていったかもしれないですね。

実際ミドル級で2試合してみていかがですか?
窪田幸生:んー、難しいですね、僕の中では。

その難しさというのはどのへんに感じました?
窪田幸生:ん・・・、手が合わないんじゃないですかね? ライトヘビー級の選手の方が手が合ってたかもしれないですね。ミドル級の選手は・・・、いや、難しいな。ちょっと言葉じゃ言い表せないですね。

それは体で感じた難しさ?
窪田幸生:そうですね・・・、どっちも変わんないと思うんですけどね、そんなに。それは試合をしている本人にしか分かんないです。