「最後に勝った試合って、いつやったんやろと思うんです。とにかく1勝したい。これはホンマに僕にとってはデカいことなんです。いまは首の皮もつながっていない状態。せめて首の皮1枚でもつながったという感じになってくれれば…」
 2・16グランキューブ大阪。
 冨宅がパンクラス創設期を思い起こさせるように「ハイブリッド・コンシャス」をバックにゆっくりと入場してきた。
かつてパンクラスといえば、この曲だった。
 リングに上がった冨宅は、ウェルター級に絞って見事な筋肉を見せつけていた。旗揚げ当時、パンクラスの全選手は見事な逆三角形の肉体美を見せつけた。その肉体がパンクラスという団体を特徴づけたものだった。
10年を経て、その考え方が変わってきた。みな肉体を作ることよりも勝つことに力を注いだ。いつの間にか肉体の考え方を、どこかに置き忘れてきてしまっていたのだ。
久々にみる肉体の素晴らしさ。
 冨宅は「72「に絞ってきただけで、ほとんどウエイトらしきことはしてないんですよ。ゴムチューブをやるくらいなんです。練習の大半はスパーリング。それとバランスの練習をしている程度ですから」と謙遜気味に言っていたが…。
 対戦したのは星野勇二。星野は小気味よいパンチの先制を浴びせて、組んでくるとテイクダウン。とっさに冨宅は右腕でフロントチョークに持っていく。渾身で絞る。だが外されて、次第に上からの打撃をガードするのに懸命になっていった。
「自分が歯がゆかった。練習だと下から取るのが得意やったけど、その得意なものをやれなかったんだから、どうしようもない。試合中、お客さんを意識しました。面白くないやろうなと思いました。僕が悪いんで、仕方がないんですけど」
 3−0判定負け。

もう34歳になった。98年6月の鈴木みのる戦で判定勝ちをして以来、1勝もしていなかった。練習を怠っているわけではない。毎日、必要以上に行なっている。だが、練習では極められるのに試合になると極められない。
 もどかしい。
 それが年を取ったということなのか…。
「やりにくい相手やなかった。ただ力が凄いなと感じただけ。場数も僕のほうが踏んでいる。何が原因だかわからない」  しかし、決定的な理由があった。
 大阪という地にいるハンディだ。冨宅は大阪で暮らしている。ピーズラボのインストラクターをやりながら、インストラクターがない時はショップの店番をしている。東京にいた時のように自分の時間が持てなくなっているのだ。
 それだけではない。練習相手がいなかった。稲垣が故障した時は練習生とスパーリングをするしかないのだ。これでは練習生の練習にはなっても自分の練習にはならない。
 どこかに出稽古に行くつもりはないのか。
「出稽古に行きたいんやけど、インストラクターや店番の仕事をしなければならないんで、できないんです。つくづく大阪は大変だと思いますよ」
 まだあった。試合が少ないということだ。あまりに試合がないので、会社から「引退しろ」と言われているような気もしないではない。
「大阪の試合はたくさんあったとしても年3回。それに出るくらいのものですからね。東京で行なわれる大会は、まず出れないですから。それだけ、格闘家の人口が増えてきたということ。あまりに試合をしていないと不安になってくる」  冨宅のいる状況というのは、けっして甘くはない。故障をしても東京みたいに、すぐに廣戸道場へ治療に行けない。この間はどうしても治療が必要で、飛行機で行った。何回も大阪から来れるわけがないので2日泊り込みで治療してもらった。
また、試合があるからといってインストラクターや店番の仕事が休みになるわけではない。今回の星野戦も、前日の夜はピーズラボのインストラクターをやりながら「明日、試合か…」と開き直ったものだった。試合が終わっても「ああ、明日、ピーズラボなんやな」と仕事のことが頭に浮かぶ。
 だから、余計に冨宅は「クソッ!」と思う。逆に言えば、こういう状況の中で勝つことが出来たら、これまでにはない価値のある1勝となる。
「1勝。どうしても勝ちたい。生徒にしても負けてばかりいる先生に教えてもらいたくないでしょ。引退は考えてないですよ。応援してくれる生徒に申し訳ない。1勝もしないうちにそんなこと考えられない。いまはあれこれ言わずに、来るべき1勝のために頑張るしかないです」