10周年記念イベントの8/31両国国技館大会はパンクラスにとってグラウンド・ゼロだった。忘れてはならない日。忘れてはならない場所になった。なぜならパンクラスの伝統あるベルトを新日本プロレスのジョシュ・バーネットに奪われるという、あってはならないことが起きたからだ。

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今回の大会を見ながら10年間という間、パンクラスを見つづけた者の多くは怒ることに疲れてしまっているのではないか、と妙に納得している自分に気づいた。
パンクラスという団体はどこでどうなって、これほど一般に受けない団体になってしまったのだろう。
新日本が出るというので見にきた、あるプロレスファンが「知らない選手ばかりで全体的に面白くなかったが、バーネットと近藤の試合は良かった」と言った。
正直な気持ちだろう。渋谷、三崎、郷野、佐々木、菊田、鈴木、國奥、近藤。そこそこのスターはいるが、カリスマに近いスターがいないという現実。
パンクラスはこの10年間、新しいスターを作る暇もなかったのだ。
もしもプロレスファンから見てもスターと思われる人間が、たとえば船木誠勝のような人間がいたなら、感情移入はできる。
しかし、パンクラスはその意味でスターは作りづらい団体でもあった。なぜなら、真剣勝負をやってきたからである。真剣勝負をやっていく以上、本当に強い選手でなければスターにはなれない。
たとえば、柔道の井上康生選手のような毎回、1本勝ちで勝ち進むような選手でなければスターにはなれないのだ。
少ない旗揚げメンバー全員が毎月、怪我と闘いながら生きてきた。それがパンクラスの実態だった。
2000年5月、船木誠勝がヒクソンと闘い、途中まで勝っていたのに敗れてしまった。
パンクラス一時代の終焉だったと言えよう。

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この日の大会は近藤有己の凄さがわかったが、そこで終わってしまってしまってはパンクラスはおしまいである。 近藤が敗れ、ジョシュ・バーネットがパンクラスの伝統あるベルトを巻いた時、誰がその光景を見ていきり立ったか!
これが重要である。
放送席にいた高橋義生。
「あのベルトを取り戻すのは俺しかいないでしょう!」
 高橋はベルトを巻いて嬉しそうなバーネットを見ながら顔を引きつらせた。この高橋以外に、誰が近藤が敗れた光景に打ちひしがれ、復讐を誓い立ち上がったか。
「みな傍観者ばかりだったね。みな若い連中は俺には関係ないと思っていたんじゃない」
 鈴木みのるはそう言った。
この日、リングに上がった船木誠勝は「ここまで10年間やってきましたので、これからはもっとシビアな目でパンクラスを見てください。悪いと思ったら悪い。良いと思ったら良い。それを直接、会場でリングで闘う選手たちにぶつけてください。それが一番、パンクラスにとって生きていく力になると思います」と訴えた。
おとなしすぎるパンクラス。そのことに船木は以前から、危惧感を持っていた。
船木の言葉は、ある意味で「急がなければ総合とプロレスの歴史からどんどん立ち遅れてしまうぞ」というパンクラスに対するメッセージであり、そんなパンクラスを温かく見守るのではなく叱咤激励して欲しいという切望でもある。
近藤有己は30キロの体重の差を越えて闘い抜いたがバーネットにはテクニックもあって、ついに力尽きてしまった。10年目の区切りに、近藤はあえて対戦相手にジョシュ・バーネットを選び、そして敗れてしまったのだった。 近藤の格闘技にはマニュアルというものがない。だから高いテクニックを持った人間も自分のテクニックの目安の中で闘うために、大いに戸惑い、そして勝つことが出来ない。
近藤はそれを知っていて、この大会で大型選手を相手に自分の力を試そうとしたのだ。そうして選んだのがウエイトも身長も大きく、さらにテクニックも優れているジョシュ・バーネットだった。
もう、近藤ものんびりとしておれなくなった。負けて初めて、ことの重大さに気づいたからだ。高橋がいきり立ったが、本来は近藤がジョシュに再び挑まねばならないはずだ。
パンクラス10年。のんびり屋の近藤に「もっと急げ」と歴史が追いたてているかのように感じるのは私だけか…。