近藤有己に菊田戦を振り返って、いったいどこが勝負どころだったのかを訊いた。
 すると思いもかけない言葉が返ってきた。普通だと畳み込むチャンスが訪れた時に勝負する。つまり、たとえばカウンターパンチで相手が崩れたら、そのチャンスを逃さずにラッシュして勝利をおさめる。
 勝負どころとは、そういう行為を言う。
 ところが、近藤は「いや、そういうチャンスではなくて、そのチャンスの前段階が大切なんです」というのだ。そのまま近藤との会話を続けよう。
チャンスが訪れる前段階が大切? それはどういうことなんだろうか。
「単純に言うと倒されるのか、倒されないのか。返されるのか、返されないのか。つまり、菊田さんが組んできて倒そうとして足を刈る瞬間があった。その時、前回はそのまま倒されてしまっていた。しかし、今回は絶対に倒されないようにした。そうはさせなかったんです」
 すると、組んでいる時に菊田選手がテイクダウンをさせるために足を刈ってくる瞬間が分かったということか。 「分かりました。菊田さんの調子が悪かったんでしょうか。自分の感覚としては倒されまいとする感覚がすごくあったからだと思います」
 これまでの近藤の考え方は、足を刈る瞬間がわからないために、刈られたら刈られたまま倒されて、そこから対応していこうという気持ちが強かった。近藤の考え方というのは「練習をしていれば自然と強くなっていく。だから自然にやればいいんだ」という気持ちが強かった。その考え方が、相手が強引に倒しにきたら、踏ん張るけども、あるところまできたら無理をしないで倒れるという気持ちにさせていたのだと思う。
 しかし、一度、倒れてしまったら倒されたあとが大変だ。それをジョシュ・バーネット戦で気づかされたのだ。
 近藤は反省としてバーネット戦のビデオをざっと見た。その時にハッと気づいたことがあった。
(これは…あまりにも簡単に倒されすぎだ)
 近藤は反省した。というのは、まだまだ踏ん張れるのに「えっ」と思うほど簡単に倒されてしまっている自分の姿を見たからだ。

 ちょっと話を変えよう。
 宮本武蔵の「五輪書」に「枕をおさゆるということ」という箇所がある。
 その冒頭を少し長いが紹介する。
「枕をおさゆるとは、かしらをあげさせずという心也。兵法勝負の道にかぎって、人の我が身をまわされて、あとにつくこと悪し。いかにもして敵を自由にまわし度きことなり。然るによって、敵もさように思い、我もその心あれども、人のする事をうけがわずしては叶いがたし。兵法に、敵の打つ所をとめ、つくところをおさへ、くむ所をもぎはなしなどとする事なり。枕をおさゆるというは、我実の道を得て敵にかかりあう時、敵何ごとにてもおもふ気ざしを、敵のせね内に見知りて、敵のうつという、うつのうの字のかしらをおさへて、あとをさせざる心、是まくらをおさゆる心也」
 現代語に略約すれば、こうだ。
「枕をおさえるというのは、敵の自由にさせてはならない。敵が打ってくるところを止めて、また突くところを抑え、さらに組んでこようとするところを引き離す。敵と向き合うとき、敵の心理を掴んで、敵が打つところを打つという字の『う』という瞬間にうたせないように抑えること。つまり、相手が打ってこようとした時は遅く、打ってこようとする直前に察知して、相手の攻撃の頭をおさえるということだ」
 つまり洞察力である。
 近藤に洞察力という能力が備わっているのかは分からないが、もしも備わっていないとしても、それに近づいた能力を持ちはじめていると考えていいだろう。
 菊田が組んでいてテイクダウンをさせるために動こうとする、その直前、動きを洞察して食い止めることで、菊田はどんどん焦っていった。それが精神的ダメージを与えて菊田の体にキレがなくなっていったのではないか。
 近藤は「枕をおさえる」ということを、知らず知らずのうちに分かっていたと言っていい。それを思うと、近藤はすでに並みのレスラーではなくなっているんだなということに気づく。つくづく驚かしてくれる男である。