「このままだと何のための人生だったんだか分からない!」
 高橋義生は奮い立った。
 マリオ・スペイヒーと近藤有己の試合。最近、このビデオを知り合いの家で観た高橋は、近藤の強さに愕然とし、すっかり水をあけられていることを実感したのだ。
「近藤がせっかく作った波を、この波に乗ってパンクラスが逆襲する時。俺も近藤には負けてられないし、次に試合をする時はジョシュとやれと言われても、絶対に負けるわけにはいかない」
 雑誌を見ると、情けないことにいまだにスペイヒーの調子が悪かったのではないかという論調の記事がある。だが、それは柔術というジャンルの強さが昔、ファンに与えてきた幻想にしかすぎないと思う。
試合を見れば一目瞭然。スペイヒーは何もやれないまま近藤に敗北していった。この事実をしっかりと踏まえていない記者が実に多いのだ。
柔術云々の話ではなく、近藤がそれを超えた強さになっているということを考えなければならない。
高橋は素朴な男だ。それに自分の体験しか信じない。先入観なしに近藤の強さに感じ入った。
「いつの間にここまで…」
 ある日、絶大の信頼を寄せるボクシングの田代トレーナーから「近ちゃんに50ポイントくらい開けられているよ!」と冗談で言われた。菊田早苗に近藤が勝ってからのことだった。その時は「そうだよな」と思っただけで、それほどの切実さを感じなかった。

 しかし…。
「凄かった。スペイヒー戦で見た近藤は俺たちの時代にはないニュータイプの人間。近藤はガンダムのニュータイプのような、新しい格闘家のような気がするんですよね。おそらくジョシュと闘った時に何かを掴んだなとは思いましたけど、ここ2戦で明らかに近藤は変わった。実戦が人を成長させたところを目の当たりにしたような気がします」
 近藤は今年の正月、実家の長岡に帰ってスノボー三昧で過ごした。以前はスキーをよくやったが、ここ2〜3年はスノボーをやっている。サーフィンをやりはじめた時期だから同じような意味を持っているのだろう。
 なぜ、近藤はスノボーで遊ぶのか。
 その理由は面白いからだが、やっているうちにバランスを養うには最適だと思うようになったからだ。サーフィンをやり始めた時に気づいていたが2本の足を使って不安定なところに乗り続けられることは闘いの場においても同じであることが分かったからだ。
 高橋が「実戦が人を成長させたところを見た」と言ったが、ある意味、近藤にとってスノボーやサーフィンは実戦の場所でもあるのだろう。
 いろんな人間に聞いてみると近藤の練習はそれほど変わったとは思えないらしい。
 しかし、それは眼力の違いにすぎない。明らかに近藤の練習が変わったと悟ったのは鈴木みのるだろうか。どこがどうということはないが、自分なりにしっかりとした練習をやり始めているなと思ったらしい。

 近藤に聞いてみよう。
「これまでと同じ練習なんですけど、ちゃんと練習をするようになりましたね。練習でも実戦と同じようにやる。そして、やることをちゃんとやるということ。それが徹底できているような。早く寝るとか、食べ過ぎないとか、小さな積み重ねがちゃんとやれるようになった」
 近藤の言うことは初めての人には難しいが、こういうことだ。
 人というのは当たり前のことがなかなかできない。たとえば勉強でも根本を理解していくことのほうがしっかりと脳に根付く。それを知っているくせに受験勉強に合格するための体系的な流れでではなくスポット的な知識を覚えようとする。その結果、合格しても結局は脳に根付かないまま忘れさられていく。合格するための勉強というのはそういうものだ。その学校に合格するために歴史なら年号を暗記するのではなく、どうしてこの事件が起こったのかという時代背景からじっくりと勉強していくことのほうが実社会で役に立つ。近藤は年号を覚えるやり方ではなく、こういう時になったら自分はどう動くのかと日々を過ごしているのだ。
 つまり日々の練習を実戦に近い考え方でやっていて、練習時間を過ごすための練習をしていないのである。
「たとえば、ちょっと怠けるということが、少しずつ積み重なっていくと、それが不安を呼ぶ。そういうことがないように日々を過ごしていると自信が出てくる」
 いま、高橋が根本からやりなおそうとしている。基礎体力重視の考え方。これまでの技術を生かすために、また不安なく技術を出すために根本的な体を作ろうというのだ。
キャリアのある男がそこまでやろうとする。それは近藤という男の進化を目の当たりに見たせいだろうと思いたい。