「僕ってわがままなんですよ。子供のころからそうだったかも」
 アライケンジ選手は、そう笑います。
 79年10月5日、富山県福光町出身。子供のころは、やんちゃなワルガキでした。発言したクラスメートが座る時、いすを引いて転ばせたり、イタズラばかりして、先生にしょっちゅう叱られていました。あとでご両親にたっぷり叱られるとわかっていても、その時「こうしたい」と思ったら、イタズラせずにはいられない。勉強も、自分の好きな科目は夢中になって勉強するけれど、興味の無い科目は全く勉強しない、そんな子供でした。
 アライ少年とプロレスの出会いは、小学校3年生の時。たまたまお父さんが見ていたプロレスの深夜放送を見たのがきっかけでした。見た瞬間、
 「僕はプロレスラーになる!」
小学校の文集には「IWGPチャンピオンになる」と書くほど夢中になりました。
 それからというもの、プロレス一直線。特に新日本プロレスのジュニアに夢中で、好きな選手は獣神サンダー・ライガー、エル・サムライ、馳浩など。華麗な選手、派手な選手、身体のかっこいい選手が好きでした。
 小3にして人生の目標を決めたアライ少年は、プロレスラーになるため、高校でレスリング部に入部。そのころ衝撃を受けたのがパンクラスでした。鍛え抜かれた肉体、試合スタイル、パンクラスの選手たちは、これまで見てきたプロレスラー像とはまるで違っていました。
 残念ながら、富山県にパンクラスの興行が来ることはありませんでしたが、アライ少年は雑誌を読みふけり、ビデオを買って、テープがすり切れるほど繰り返し見、憧れをつのらせていきました。
 当時、パンクラスで人気を二分していたのは、やはり船木誠勝選手と鈴木みのる選手。でも、アライ選手の心を強くひきつけたのは、高橋義生選手でした。特に98年9月の武道館大会。高橋選手は鈴木選手と闘い、先輩の鈴木選手を掌底で打ちまくり、衝撃のKO勝ちを収めました。この試合で、アライ少年は高橋選手に惚れたのです。自分と同じアマレス出身。レスラーなのに、こんなに打撃ができる。なんて華麗な試合をする選手なのだろう。そして、先輩、後輩を超えた非情なまでの闘い。その姿はアライ少年の胸に強く響きました。「男が男に惚れる」とは、こういうことなのかも知れません。
 「僕はパンクラスに入る! この人について行きたい!」
 高校卒業後、社会人レスリングを3年。98年には、フリースタイルレスリング社会人オープンJr.58kg級でみごと優勝を飾りました。この時のコーチは日大出身で、高橋選手の先輩でした。今思えば、これも何かの縁だったのかも知れません。
 そのころ、まだ身体が大きくなかったアライ選手は、仕事が終わってから、遅くまで1人、黙々と綱上がりやウェイトに励みました。それもすべて、パンクラスに入りたいという一念でのこと。そして00年11月、入門テストに合格。ついに、憧れ続けた高橋選手の後輩となることができたのです。
 入門してからも、高橋選手のイメージが変わることはありませんでした。長い時間を一緒に過ごすと、普通はいやな面も見えてきてしまうものです。しかし、高橋選手には全くそういうところがなく、憧れはますますふくらんでいくばかり。だから、同期の練習生が次々と辞めていく中、アライ選手は絶対にあきらめませんでした。苦しくても、子供のころからの夢はあきらめられるものじゃない。まして、憧れの高橋選手の前で挫折することは絶対にできなかったのです。
 今年7月の横浜大会。高橋選手は桜木裕司戦で、謙吾選手のために打撃を使わない約束を守りました。アライ選手は、高橋選手の考えを試合の2ヵ月前くらいから知っていたそうですが、本当にやり遂げた時の感動は、身体がしびれるほど。最高にかっこいい男の姿でした。
 この時、高橋選手は「アライには伝えたいことは何もないですね」と語っていますが、言葉で語らずとも、闘う自分の姿で何かを伝えたかったのではないでしょうか。
 だから、高橋選手がismを離れた時、アライ選手に迷いはありませんでした。
「ismに不満はない。でも、自分がついていきたいのは高橋さんなんだ」

 人柄と同時に、高橋選手が提唱した打撃中心の闘い方「東京スタイル」にも、アライ選手は魅せられていきました。打撃に関しては何もないところから始めたのに、自分でも意外なほど飲み込みが早く、ものすごく楽しかった。どんどん打撃の練習にのめり込み、デビュー3戦目(02年7月)では、1Rわずか9秒、左ハイキックでKO勝ちを収めました。
 打撃の魅力は一瞬で決まること。そして、勝者と敗者が誰の目にもはっきりとわかる。これほど気持ちいいことがあるでしょうか。デビュー2年目は勝ち星を上げられず、ファイトスタイルを変えることも考えましたが、悩んだ末、自分は打撃が好きだという結論に達したアライ選手。そうと決まれば、あとは打撃を磨くだけ。どんな時、どんなところからでも打ち勝てる選手になるだけなのです。
 「相手は誰でも関係ないですね。僕にとって一番大事なのは、相手が何をしてくるかではなく、自分が何をするか。モットーはわがまま。やりたいようにやります。リングでは相手を殺す気でいきますよ」
 打撃に開眼したことで、アライ選手はより強いハートを持つことができたようです。師匠・高橋選手も「アライに望むことというのは特にありません。でも、自分のやるべきことを見失わず、しっかりやっていけば大丈夫だと思いますよ」と太鼓判を押します。
 高橋選手との出会い、そして打撃との出会い…。アライ選手は、何か不思議な縁に導かれて今ここにいるのかも知れません。そしてこれからも、もっとわがままに、もっと熱く、闘う姿を見せてくれることでしょう。「東京スタイル」は、いまや「アライスタイル」でもあるのですから。