バランスという言葉は、スポーツの分野、それから私が仕事としている、いわゆる身体の健康面というような分野の中でも良く聞く言葉、良く耳にする言葉だと思います。簡単に耳にするが故に、バランスという言葉は物凄く広い意味を持っています。例えば、「どういう食事をすれば体は大きく成るのですか?」「それはバランスの良い食事です」とか、「仕事と練習の比率はどうなんですか?」「それはバランス良く組み替えていくと良いんだよ」とか、「自分のする事と人からしてもらう事のバランスに注意しておけば対人関係は上手くいく」とか言いますが、それは指導、ヒントには丸っきりなっていない言い方です。それは、一般論の中のイメージで話されてしまう言葉になってしまいます。

今、トレーニングの世界でも、バランスというテーマによって、言葉の意味を釣り合うという様に考えてしまう人が多いです。私は、これは間違いではないけれども、正しくもないと思います。と言うのは、釣り合っても、例えば片足で立つとフラフラします。片足でずっと立ち続ける為に、二本の手ともう一つの足を色々な方向に出して、釣り合ってじっとした時に、体が斜めになったり、手をパタパタ動かしている上体で何とか立っている、これも釣り合いです。けれども、ではそこから何が出来るのかと言ったら、釣り合った時点で何も出来なくなってしまいます。何かしようとして動けば、また釣り合いの均衡が破れて、それでまたバランスを取る事に終始されてしまうのであれば、これはスポーツという一つのテーマの中でも良いのですが、何の意味も持ちません。それが意味を持つのは片足立ち大会に優勝するという事であれば良いのですが(笑)、それが野球であるとか、サッカーであるとか、という中で、行われて求められる場合は、釣り合わせるという意味のバランスでのイメージのトレーニングというのは、あまり役にたちませんね、というのが現場にいる私の素直な言葉です。「じゃー何なんだよ?」というと、バランスというのは安定感という言葉で置き換えていくと良いです。安定した状態で立ちましょうとか、安定した状態で自分を準備させるという事が出来ていると、そこからは手足は未だきちんと動かせる状態です、という事が理解出来ます。これはJリーグの選手、プロ野球の選手も含めて球技の選手もそうだし、陸上競技の選手においてもそうです。全ての選手、平たく言えばヒロト道場に通って下さっている全ての患者さんには、そういう形の観点から指導する事の方が多いです。

「それはどういう事なんでしょう?」というと、身体というのは抹消から、要するに手足の先を動かして釣り合わせる事を意識させてしまうと、自分の体幹、胴体の部分というのは動きません。抹消と胴体の間、要するに肩であるとか、股関節であるとかという関節を支点にしてバランスをとってしまうと、胴体というのは動かせなくなってしまいます。そもそも大人というのは、身体の中心部分を動かさないで、小手先で身体を動かす事を憶え始めるので身体の能力が落ちてくるというのが私の持論です。それがダイナミックさや、しなりを失っていく動作、それが“若さ”を失って来た動作という事です。なんで椅子から立ち上がる時に、膝に手をかけて、ドッコイショと立たなければいけないのか?というと、背骨が真っ直ぐのまま前傾しなければいけないからです。身体の背骨のしなりで立てば、手を使わないで自分の身体は真上に上げる事が出来ます。そういう事から話しを普及させていくと、身体の中心から身体の形を変えて、それで動作というのが成り立ちます。身体のしなりがあっても、まだ抹消の動きが来ていないから、もう一回手足を動かして、もっとダイナミック動きが、変化に富んだ動きが出せますよという為に、運動のスキルというもの、パフォーマンスというものが高い次元で求められるのであって、初めに一番使い易い場所を使ってしまうと、後の対応が出来ないというのが、実はその人の運動センスであったりパフォーマンスの高さを表わすという事です。ですから、小さな子供の動作を見れば解ります。幼児のハイハイは胴体だけを動かして手をあまり動かせません。地面を支える為の道具として、足と手は存在して、胴体が動く事、それは何と言いますか、良い兵隊さん、良い軍人の匍匐前進もそうです。匍匐前進で地面を這いつくばって動いたりする時の動きというのは手足で動いていたら、あんな重い装備を付けて、ライフル銃等を持って敵の飛んで来る弾丸の下を、なるべく身体の上下動を少なくして動かそうとするんだったら、手の力、足の力で動こうとすると、身体というのは浮いてきてしまうし、腕の力と肩の力で前に進もうと、本当に何百メートルもそんな事をしたら動けなくなってしまいます。そうではなくて、手と足は常に地面を支えるもの、それを動かすのは身体の中心部分だという事です。それが理解出来てくれると、“体重”と“重心”というのは違うんだなというのが解って来ます。これはこの短い中では説明するのが難しい事ですが、ただこれだけは言えます。「“体重”と“重心”は違いますよ」という事です。片足に体重が乗ったと思ったから重心移動が出来たんだなと思っていると、出来ていない人の方が大半です。逆にあまり大きな動作が、外に対して身体の大きなパフォーマンスが無いのに重心をコントロールしている人もたくさんいます。そういう人が一流になっていきます。目に見えるところを追いかけている時代から、目に見えない動きを追いかける時代にいかなければならないのが、私は21世紀の体躯の考え方だと思っています。それが身体の歪みを直し、身体の健康を取り戻す一つのキーワードは重心のコントロールであったり、重心を安定させるという事が実はバランスという言葉の本当の意味なんですよ、という事です。

それから、ストレッチは怪我をしない為の体操です、という様なイメージがありますが、ストレッチというのは、結局、重心を安定させる為の練習です。お尻を付いて手足を絡ませた状態からでも、どのポジションからでも立ち上がる事が出来たり、素早く動く事が出来ないと、ストレッチをしている意味がありません。という事はストレッチがきちんと出来るという事は、筋肉が柔らかくて伸びるという前提の前に、「常に安定をさせる事」というのが最大のテーマです。それが出来るという事、バランス/安定感があるという事が、実は出力を生むという事、素早く動ける事、スピードを加速させて自分の身体をコントロールさせる事、自分の身体に色々変化をかける事/身体を変体させる事、変幻自在に動く事です。要するにスポーツの要素というのは、そこにあるのだという事です。昔からやっているようなバランスのトレーニングとかいうものを、私達レッシュの考え方を前面に出して来ると、「この練習にはこういう意図があったのか!」という事がわかります。要するに筋肉に負荷をかけたら、筋肉が強くなって強い力が出せるのだ、という風にしか考えていない、大変古い物の考え方が、未だトレーニングには横行しています。そうではなくて、多目的な筋能力というのは、筋力というのは筋肉が縮むという力を発揮させるのではなく、筋肉の能力です。コントロールする事、自分の思うように身体をコントロール出来る能力を高める事が、筋能力を高める事で、その中の一つとして筋収縮のコントロールもありますよ、というだけの話しです。闇雲に筋肥大等を狙っていきますと、パフォーマンスが落ちます。昔の野球で言えば、「ウエイト・トレーニングをすれば野球は下手になる」。これは、ある意味正しいです。「野球選手は走らなければいけない」。物議を醸し出した言葉です。400勝投手の金田 正一さんが言っているのは、ピッチャーはスタミナが必要だから走るんだ、ということではありません。もっと奥深いところに、走れ走れという事があったり、オールドファンなら知っているのですが、開脚して金田の何とか式健康棒、なんていって、開脚前屈なんかを引退した後、何十年も金田さんはやっていらっしゃいましたが、あーいう股関節の柔らかさとかいうものが、実は走れ走れにリンクしているものです。実際、大学の投手等はちょっとだけ身体の使い方のヒントを与えるだけで、球速なんかも一気に上がります。バットのヘッドスピードも上がったり、高校生にスイングなんかを教えると、すさまじいほど変ります。一分のレクチャーで変ります。ワンスイングで変ってしまいます。子供の身体というのは、それが、凄く羨ましいです。何かあれば、私達に問合わせをして頂ければ、レクチャー等も、いよいよ今年から始めようと思います。

“大人の身体”に成らない様に、実はストレッチをしていきましょう、それが今回のバランスのテーマです。