PANCRASE

PANCRASE 2012 PROGRESS TOUR

2012.5.20 沖縄・コザ ミュージックタウン音市場

故郷に錦を。〜帰ってきたキジムナー〜

text 佐佐木 澪

「みんなー!! 帰って来たぞーっっ!!」
赤い髪の男が叫んだ。
「オオ〜ッ!」
満員の客席が歓声で揺れる。場内の興奮は最高潮に達していた。
パンクラス沖縄大会。みごと一本勝ちでメインを締めた砂辺光久。思い切り拳を突き上げて見せるその姿が「キジムナー」を彷彿とさせた。キジムナーとは、沖縄県を代表する樹木の精霊の名前だ。赤い髪で、きわめて人間らしい生活スタイルをもち、人間と共存する精霊だという。
沖縄に生き、沖縄に喜びをもたらすキジムナーに、砂辺が重なって見えた。

沖縄では4年前に大会が開催されたが、大成功とは言いがたいものだった。当時、主催者側だった砂辺は、選手としてだけでなくスタッフとしての仕事に忙殺され、試合に全てを傾けることが出来なかった。仕方がないこととは言え、悔いが残った。だから今度は後悔したくなかった。スタッフではないが、地元の選手としてやれることは何でもやりたい。砂辺は練習の合間をぬって様々な活動に奔走した。ブログから情報を発信し、チケットを売り、新聞・地元誌のインタビューを受け、ラジオに出演した。
「できることはやって当たり前。沖縄のみんなにパンクラスを分かってもらいたいし、自分のことも知ってもらいたかったから」
その活動が実を結んだ。
当日、会場の入り口には長い列が出来ていた。並んでいるどの顔も期待に満ち、空気が熱い。その熱気は、あるオールドファンが「まるで昔のパンクラスみたいだ…」と涙ぐんだほど。まさに、パンクラスの原点を見る思いだった。
会場に入ると、客席は既にほとんど埋まっていた。総合格闘技を見るのが初めての人も多かったようだが、大会が開催されるということ自体に期待する雰囲気が強く伝わってきた。
「これが俺の沖縄だ! どうだ、熱いだろう!! という感じでしたね」と砂辺は振り返った。
ずっと沖縄にこだわり続けてきた。
沖縄の人間が何かしようと思ったら、東京へ出るしかない。それが悔しかった。
「沖縄の人ってペースがスローなんですけど、地元を愛する気持ちはすごく強いんです。でも、自信を持っているかというと…。これまで沖縄からチャンピオンも有名人もたくさん出ていますけど、それはみんな、東京で練習したり活動したりした人ばかりです。だから僕は、沖縄にいても強くなれる、活躍できるんだということを見せたかった。沖縄のみんなに自信を持ってもらうために、影響力のある人間になりたかったんです。だから、次に沖縄で闘うときは絶対にチャンピオンとして帰って来たかった。4年かかりましたけど、沖縄のみんなにベルトを見せられて本当によかったです」
会場へ向かう道の途中には、砂辺の二冠達成を祝う横断幕が張られていた。那覇市から沖縄市へ至る交通量の多い道路に大きく掲げられた横断幕。この二冠王を生んだのは沖縄だ! という喜びと誇りが込められていた。キジムナーは、古い言葉だが、まさしく故郷に錦を飾ったのだ。

さて、砂辺を駆り立てるもうひとつのものは、周知のことだがパンクラスだ。19年前、鈴木みのるに衝撃を受けて格闘技を始め、ついにパンクラスの王者へと上り詰めた砂辺。その陰には、さまざまな出会いや別れがあった。チームが変わり、所属が変わり、コーチやセコンドが変わった。情の厚い砂辺にとって、関わりをもった人々との別れは簡単なことではない。しかし、パンクラスという大きな夢のために、心を鬼にしてきたのだった。
いま砂辺は、勝村周一朗、松根良太らとトレーニングし、アドバイスを受けている。
「前トレーナーと離れるのは正直つらかったです。やっぱり長くお世話になっていましたし、得ることも多かったですから。でも、何かを変えることによって新しいものを得たかった。そうしないと、前に進めないと思ったんです。勝村さんとは、どちらかと言えば飲み友達でしたけど(笑)、いまはものすごく頼りになる存在です。本当に細かなところでの作戦の大切さを学びましたし、練習方法や減量まで、全てにおいて信頼しています」
砂辺の変化は、フライ級トーナメント決勝戦に顕著に表れていたように思う。そこには、4ヶ月前の初戦時とは全く違う選手がいた。砂辺は阿部を予想以上に圧倒、初代王者となった。
「阿部戦で相当自信がつきましたね。闘う前は恐怖心がありましたし、実際、強かったです。でもあの時コメントしたように、ラウンドが進むごとにどんどん成長した自分が出てきた。自分の選択は間違っていなかったんだと思えました」

鈴木さんのように輝きたい。鈴木さんのように人の心に何かを残せる選手になりたい。その思いが、砂辺を前に進ませてきた。
砂辺が“見せる"ことを意識し、試合の中でジャーマンなどを出すのも同じ理由からだ。
「ジャーマンをやるなんて、MMAというものの中では間違いかも知れない。でも、パンクラスの中では間違いじゃないと思うんです。たとえ勝利への遠回りだとしても、敢えてジャーマンを通す。それが僕の憧れたパンクラスだから。パンクラスに上がる選手は、鈴木さんのように人を楽しませ、憧れられるヒーローでいなくてはいけないんです。鈴木さんは、初めて見たときと同じように、いまも光り続けています。何も言わないけど、引っぱってくれている気がする。だから僕はパンクラスを愛し続けて来られたし、いまの自分があります。もし僕が何かの天才だとしたら、19年間ブレなかったことが天才。いろいろなことがありましたけど、続けて来られたのは、鈴木さんが光り続けていてくれたからです。その恩返しをするには、僕がパンクラスを守れる、引っぱれる存在になることしかない」
パンクラスへの強い思いとブレない心。それが、砂辺をさまざまな人に巡り合わせ成長させてきた。そのことは、沖縄大会の熱気に、明白な結果として表れていた。

2012年6月をもって、パンクラスは新体制となった。しかし、砂辺のパンクラス愛は変わらない。
「パンクラスを盛り上げるためには、まずチャンピオンであり続けなくてはならないと思っています。ベルトを巻いていることは、団体に対して発言力、影響力を持つということだからです。体制が変わっても、僕が新しいパンクラスを盛り上げていきたい。この沖縄大会の熱気を、パンクラスの未来像にしたいと思います」 キジムナーは、赤い髪を振り立て闘う。故郷とパンクラスのために。